♠101.酒害者だと言われたくなかったら、
自ら酒害者だと唱えるに限る ♥


アル中(アルコール依存症)になると、自分がアル中だと認識する力がなくなり、
他人からアル中だと言われると腹を立てるようになる。
だから、アル中の治療の第一歩は、患者自身がアル中だと認めてもらうことから始める訳で、
この病識が得られれば、50%治療が進んだと言われている。
しかし、後50%は、患者自らが自分の治療者にならない限り治療は成功しない。
アル中になったものは、たとえ99%の認識を持ったとしても、
僅か1%の理屈が立てば酒にてを出すものだということを忘れてはならない。
何年か断酒していると、アル中が治ったのではないか、自分がこうやって断酒しているのは、
本当はアル中ではなかったのではなかろうか、などと考えるようになるものです。
だから、私達は「断酒の誓い」の第一条、「私達は酒の魔力に捉えられ、
自分の力ではどうしても立ち直ることができなかったことを認めます」と唱え続けなければならないのです。



♠102.一年断酒を誇ってはいけない、
今日一日断酒させてもらったことに感謝しよう ♥


断酒はよく登山に譬えられる。
それは登山の途中における苦しみを乗り越えて頂上に向かう努力の姿が似ているからであろう。
しかし、登山には必ず目標とする頂上があるが、断酒にはそれがない。
あるとすれば、それは自らの天命を全うしたときであろう。
とすれば後何年断酒すればいいとか、何年断酒したからもう成功だということがない。
一年断酒したからといって胸を張って例会で話してた人が数日後に入院し、
アッという間に死んでしまった例は数知れない。
確かに、一年断酒したということは、誇りに足りる難事業だったかもしれない。
しかし、明日飲むかどうかわからない私たちにとって、
一年間断酒したことは必ずしも勲章にはならないという謙虚さが大切である。
今日一日断酒した。
いや、断酒させてもらったという周りの人々への感謝の心こそ、真の勲章であり、宝なのである。



♠103.酒を止められないのが酒害というより、
酒を止めざるを得ない状態を酒害というべきだ ♥


アル中(アルコール依存症)とは酒に対して精神的、身体的に依存状態になったことをさす病気であり、
身体にアルコールが入ってないと不安状態となり、著しく生活無能状態となる病気なのである。
だから、一口で言うと「アル中とは酒を止められない状態」と言うことになる。
一方、アル中を治す方法は唯一である。
それは酒を止めることである。
酒を止められないアル中が、酒を止めるという治療状態に入るということは正に大矛盾であって困難極まりないことである。
しかし、治療に成功し、止めている人がいるから不思議である。
彼らはアル中を酒を止められない状態と考えずに、
「アル中とは酒を止めざるを得ない状態」のことだと考えたから止められたのである。



♠104.恥ずべきは酒害のため歪んだ生活をしてきたこと、
更に恥ずべきはそれより立ち直ろうとしないこと ♥


私達は酒害のため、心も歪み、生活も歪んで、周囲の人々をその渦中に巻き込み、多大の迷惑をかけてまいりました。
それなのに、それには気付かず酒に明け暮れていました。
いや、心の片隅では気付いていたのです。
恥かしいことだと思っていたのです。
それなのに止められなかったのです。
いや、ひょっとしたら、その恥かしさを消すために飲んでいたのかもしれません。
(恥の上塗りになることなど考えもしないで・・・)
しかし、幸いにも断酒会を知り、入会しました。
そして立ち直ることの素晴らしさを教えていただきました。
私達は、この昔の歪んだ生活を常に反省し、この恥かしさを繰り返し、
繰り返し思い起こしていなければいけないと思います。
これが初心に帰るということであり、断酒継続の糧だと思うのです。



♠105.何度も失敗したからといって卑屈になることはない、
断酒に成功した暁には今までの失敗は失敗でなくなり、
それは成功への大切な道程であったことがわかるものだ ♥


若い断酒会員を見て「私も、もう十年早く気がついて、断酒に踏み切っていたら、
こんなにもならないですんだものを・・・」と五十を過ぎた会員がぼやいている姿をよく見かけます。
確かに二十代、三十代で断酒に成功した人の前途は洋々たるものがあるに違いありません。
しかし、その人の断酒家としての精進は長く険しく、人格向上の努力を続けなければならないこと必定であります。
それに比べて、五十代になるまで、泥沼を這いまわった末に、
やっと断酒開眼した人には、若い断酒家に見ることができない、
いぶし銀のような何物かがにじみ出ているものです。
それは己の悪業に対する深い反省から出てくるものであり、
昔から「悪に強いものは善にも強い」と言われているのは、
この辺の真理を説いているのではないでしょうか。



♠106.酒を忘れるのはいいが、
酒ゆえの悪業を忘れてはいけない ♥


「今、酒は飲みたいと思いません」と入会したばかりの会員のほとんどの人が言います。
それなのに、その半数以上の人がいつの間にか酒に手を出して元の木阿弥になってしまうのは何故なのだろうか。
確かに断酒を決意した当初は「飲みたいとは思わない」と言うのは決してうそではなく真実のようである。
しかし、「飲みたいとは思わない」のは「飲んだら大変なことになる」と言う心がブレーキになって、
そう思っているに過ぎないのではないだろうか。
即ち、自分の酒ゆえの悪業の記憶がまだ生々しいので、恐ろしくて「飲めない気持ち」であるということなのである。
それが月の経過とともに、いつの間にか酒ゆえの悪業をだんだんと忘れたり、屁理屈をつけて自ら赦したりするものだから、
「飲んだら大変」という気持ちが薄れて、酒に手を出してしまうのである。
だから、飲みたいと思わなくするためには「飲んだら大変」というあの初心を常にかき立てていかねばならないのである。
そのためには常に例会に出席し、体験談をかたり、そして聞くこと以外に方法はないのである。



♠107.もう三年もやめたのではない、
まだ三年しかやめていないのだ ♥


全国の各断酒会の共通の悩みの一つに三年ないし五年断酒している、いわゆる中堅会員が少ないという事実がある。
これは、断酒三年、そろそろ傲慢の心が沸いてきて、独りでも断酒できるのではないかと考えるようになり、
会を去ってゆくからではあるまいか。
そもそも、アルコール依存症の治療法は唯一「断酒」以外にないことは言を待たない。
しかも「断酒」は独りではきわめて難しいことも明白である。
「三年断酒」は断酒会の会員相互の心の支えによって継続されてきたものであって己ひとりで成し遂げたものではない筈。
さらにもう一つ。
この治療は死ぬまで続けなければ何の意味もないことも、私たち断酒会員は痛いほど体験し知っている筈。
とするならば「断酒三年」なんて、ほんの「ハナたれ小僧」に過ぎないという謙虚な心を持っていなければ到底
「生涯断酒」はなしえぬ業と知るべきであろう。
私たちは「もう何年」と考えるのではなく、常に「まだ何年」と考えなければならないのである。



♠108.アルコール依存症者を酒害者というけれど、
真の酒害者は妻や子だ ♥


自分は酒の害を受けた人間である。
確かに飲みすぎたことは事実であり、
そのために酒害を受けた被害者である・・・などと思っているうちはなかなか酒は止められないようである。
この考えが高じていくと、自分が酒を飲まざるを得なくなった張本人は、妻であり、職場の上司であり、
同僚のあいつであるという外罰的な考えになって自分の酒がどのように周囲の者に、
特に家族、妻や子供に迷惑をかけてきたのか見えなくなるようである。
それが、断酒会に入ったり、病院に入院したりして断酒を何ヶ月か続けていくと、
この被害者意識がだんだん消えていって、実は自分は酒を飲んで周囲に迷惑をかけてきた、
いわゆる加害者であったことに気付くのである。
特に、妻や子に対して、夫らしいことをせず、父らしいことを何ひとつしてこなかった、
即ち、妻や子が本当の意味で自分の酒の害を真っ向から受けていたのだと気付いた時こそ断酒開眼の第一歩かもしれない。



♠109.断酒することは自らの運命を
開拓することである  ♥


人間の運命は定まっているのであろうか。
昔から、運命論とか宿命論とかいって、それぞれの人の将来は何らかの力の支配下にあって、
人間の努力ではどうにもならないものだとする考え方を説いていた人々はいた。
確かに血のにじむような努力を重ねても思うようにならず、
「定めとあきらめて」心の安定を得る方法はない訳ではない。
しかし、これは私たち断酒を志すものの拠るべき理論ではなさそうだ。
そもそも「あきらめる」ということは努力を放棄することなのだから、
私たちにとって「あきらめる」ということは「死」を意味することなのである。
酒の魔力に負けて、何度も失敗してきた私たちではあるが、深い自己反省から得た結論は、
「まだ決意と努力が足りなかったのだ、もう一度やり直してみよう」ということではなかったか。
何度も、何度も生涯断酒に挑戦する不屈の心が見事人格の変革を成し遂げ、
いつしか周りの人々の好感を呼んで、
今までより数段も明るく楽しい人生を送れるようになった断酒家が多数いることを知るべきである。



♠110.断酒は何かを求める手段ではなく、
断酒すること自体が目的でなければならない ♥


「これ以上飲んでいると会社をクビになるので・・」
「家内が子供をつれて出て行ってしまったので・・」
「身体が悪くなってしまったので・・・」という理由で断酒会に入会してくる人がいるものです。
断酒の動機としてごくありふれたもので、決して悪いというつもりはありませんが、
これらのことが目的であって、断酒がこの目的を達成するための手段であったらどうなるのでしょうか。
「会社をクビにならなかったら」あるいはその反対に「クビになってしまったら」
断酒する必要はなくなるのではないでしょうか。
「奥さんが帰ってきたら」又「健康になったら」酒を飲んでもいいという理屈になりはしなしでしょうか。
「断酒する」ということは、そのこと自体が目的なのであって、
「会社をクビにならなかった」「家内が帰ってきた」「健康になった」などはその結果から生じた副産物なのです。



♠111.アルコール依存症になると酒を飲む理由は簡単に見つけるが、
酒をやめる理由は自分では見つけられなくなる ♥


誰だって酒を飲むときに、アルコール依存症になるかもしれないと思いながら飲む人はいない。
だから安心して飲んでいるうちにいつしか酒の虜になって酒を追いかけるようになる。
こうなると酒を飲む理由は簡単に見つけられるようになるものだ。
曰く上役に誘われた、仕事に疲れた・・云々と、数え上げたらきりがない。
そして遂には「飲みたいから飲む」という羽目に陥ってしまうわけです。
さてこんな状態になってしまった呑ン平さん「酒を止めなきゃ」と時々思うのだが、
「何故止めなければならないのか」と自問自答してみても、
「止めなければならない理由が何もない」として酒を止めようとしない。
周りの人から見たら、止めなければならない理由が山ほどあるのに、
自分の置かれている状況が判らなくなってしまう(他人の意見を拒絶するようになる)
ところにこの病気の恐ろしさがあるのです。



♠112.自分のアルコール依存症は治らないものと自覚できれば、
その人のアルコール依存症は治る ♥


アルコール依存症は治るのか、治らないのかという疑問は多くの人が昔から持っていた素朴な疑問である。
入退院を繰り返している人を見るとアルコール依存症は治らないと思うし、
断酒会に入って止めている人を見れば治るのかなと思う。
そもそも、アルコール依存症が治るということは酒を普通に飲めるようになるということなのだから、
何年断酒している人でも飲めば数日で元通りのアルコール依存症患者になるとすれば、
どうも治らないというのが本当のようである。
断酒会の人たちは一見治っているように見えるけれど、
あれは治ったのではなく、止めているに過ぎないのである。
だから治らないということを自覚したとき初めて断酒の意味もわかり、
治ったようになって普通の社会生活ができるのである。



♠113.身体の丈夫うちに断酒しなければ
断酒の意味がない ♥


 人間の健康とは何か?
 WHO(世界保健機関)では「精神的、社会的、身体的に健全な状態」と定義している。
 アルコール依存症はこの三つとも駄目にしてしまう病気である。即ち
◎ 精神的不健康
   イライラ、ゆううつ、暴力、自己中心、甘え、道徳心低下、不安、自殺・・
◎ 社会的不健康
   社会的地位の低下、職場放棄、失職、家庭争議、離婚、警察沙汰・・
◎ 身体的不健康
   肝炎、糖尿病,高血圧、脳炎、食道がん、胃潰瘍、十二指腸潰瘍・・
アルコール依存症は、精神、社会、身体の順に不健康にしていくために、なかなかその病気を判断したり、
認識したりしがたい病気である。
気が付いた時は、肝硬変寸前だったり、断酒してからガンになり死亡したりする人が多い。
正しい人間生活を取り戻すために断酒するのだから、身体的に飲めなくなって仕方なく断酒するのではなく、
身体が丈夫なうちに断酒しなければ何の意味もないことになるのである。



♠114.断酒例会とは自分で自分を罰するところ、そして又、
他人の無言の励ましを受けるところでもある ♥


断酒会の例会は「体験談に始まり、体験談に終わる」と言われている。
しかし、いくら体験談とはいえ、自分の酒量や飲み方を自慢げに話たり、
妻(夫)を攻撃するような話をすることは全くナンセンスであり、百害あって一利なしと言わざるを得ない。
そもそも体験談とは、己の酒のために周りの人々にどんな迷惑をかけてきたのかを深く反省し、
迷惑をかけられた人の心になって己を分析し、自分で自分を罰することなのであるから、
それによって心が浄化され、すがすがしくなり、初心に帰れるのである。
そして又、他人の体験談を聞くことによりその人と同じような心になり、
浄化作用を受け、初心を呼び戻してもらえるのである。
即ち、私達は自分の体験を分析することで決意を固め、他の人の体験談を聞くことによって励まされているのである。



♠115.他人の体験談を聞くだけでは駄目である、
自分の体験を語ることなしに成長はない  ♥


病院から断酒会に参加している患者さんや加入したばかりの会員の中には「何も言うことはありません。
私はただ皆さんのお話を聞きにきたもんで・・」といって、自分のことを話したがらない人がいるものです。
これはまだ酒害による歪んだ性格(自己中心、甘え・・・など)が取れてないからであり、
自己客観視する力が戻ってない証拠なのです。
私達は「何かがあったから断酒会に来た」のであって「何もありません」
と言うのは体験談の真の目的を理解していないことなのです。
そもそも体験談とは、酒ゆえに犯した罪、周りの人々にかけた数知れない迷惑を、
自己反省し、自分で自分を罰する「身調べ」なのだから、始のうちは、小さな失敗でいいから、
何かひとつ見つけ出して、自分に言い聞かせるつもりで話すことが大切なのです。
それが、何年も繰り返していると、今まで気付かなかった自分の悪業がありありと見えてきて
「恥かしくて街も歩けません」などと言うようになるものです。



♠116.ああして欲しいこうして欲しいと言っているうちは酒は止まらない、
ああしてあげたいこうしてあげたいと思うようにならなければ真の断酒はできない  ♥


酒害にかかると心が歪み、自己中心の心が強くなり、自分の思い通りにならないと攻撃的になって我儘を通そうとします。
この心を「子供の心」と言います。
この「子供の心」は酒を止めたからと言って、直ちに消えるものではありませんし、
この心のあるうちはなんにでも欲求が激しく、酒の誘惑に負けやすいものです。
しかし、断酒を志して、一年、二年、三年と例会に参加するようになると、自分の家族はもちろん、
周りの人々にも、特に酒で苦しんでいる人々に手をさしのばせるようになり、真の断酒にだんだん近づいてゆくのです。



♠117.何かをしてもらうために断酒をするのではない、
断酒をするために何かをするのだ  ♥


「妻が子供を連れて家出してしまいました。
酒を止めれば妻が帰ってきてもいいと妻が言ってますので断酒したいと思い入会しました」と、
Aさんという方が例会に参加してきました。
会員のいろいろな援助活動があって、しばらくして奥さんが帰ってきました。
そのとき、会長さんが言いました。
「Aさん、あなたの場合、奥さんが帰ってきてからが本当の断酒なのですよ、頑張ってください」と。
しかし、Aさんは奥さんが帰ってきた安心からか、酒に手を出してしまい、
又、奥さんは家を飛び出してしまいました。
このように断酒を何かの目的を達成するための手段として考えている人が結構多いのではないでしょうか。
曰く「肝臓を壊したから」
「会社をクビになりそうだから」と。
このような人は、「肝臓が治ったから」とか「会社のクビがつながったから」
という理由で酒に手を出してしまうのです。
断酒は手段ではなく、断酒そのものが目的なのであって、
その目的達成のため足を使って何らかの行動をするのです。



♠118.我々にとってもっとも大切に考えなければならないことは
何故酒害者になったかということではなく、酒害になってどうしたかということである ♥


酒害者の多くが考えることは
「何故オレはこんなみじめな酒害者になったんだろう」ということであり、
「友達が悪かった」
「家内が悪妻だった」云々と行き着くところは外罰的で、自己批判は全く出てこない。
本当の原因は「自分が酒を飲みすぎた」ことであって周りの人に原因があるわけがない。
それどころか、周りの人々に多大の心配や迷惑をかけてきたことに全く気が付かないのだから困った病気である。
こんなことではいくら考えたって酒害から立ち直ることはできない。
酒害者の考え方のもっとも大切なことは
 ・酒害者になって周りの人に何をしてきたか(反省)
 ・酒害者だとわかってから何をしてきたか(償い)
ということであり、これが「断酒道」につながる唯一の道なのです。



♠119.酒害者は狂気で問題から逃避しようとするが、
断酒をすれば正気で問題と対決するようになる ♥


夫の酒を何とかして止めさせたい、息子の酒を止めさせるにはどうしたらよいか、
という酒害相談は各断酒会に毎日のように寄せられていることでしょう。
酒におぼれているこれらの夫や息子は、酒を止めさせようとすればするほど、却って酒に走ってしまうものです。
それは精神的にも身体的にもアルコール依存が形成されているから酒を飲むことによって心の安定を求めているのです。
彼らとて酔いがさめた時、心のどこかで大なり小なり「酒を止めなければ駄目になる」と思っているのです。
ところが止められない自分に嫌悪を覚え、その不安から逃れるために飲む訳です。
だから、彼らがしょんぼり考え込んでいる様な時に、
自分で止められないなら断酒会ってどんなことをやっているか見に行こうとか、
病院にいってみようかとか話しかけることです。
決して飲んだことをクドいたり叱ったりしてはいけません。
とにかく手を変え品を変えて根気強く断酒会に誘うことです。
断酒会に通うようになったらしめたもの。
だんだん正気で問題と対決するようになるものです。



♠120.断酒会の機能の核は酒害者、
組織の核は断酒家でなければならない ♥


断酒会の機能(はたらき)は常に酒害者に向かっていなければならないから、
例会においては断酒道の初心者(新入会員、失敗者など)が常に話題の中心になっていなければならないことは
たびたびこの欄に書いてきたし、組織上の中心人物が断酒家であるべきことも言を待たないであろう。
あなたの会ではこれが反対になっていないかどうか深く反省してみましょう。
断酒会(例会)の話題の中心が古参会員ばかりで占められることは時々あります。
こんなことが続くとマンネリズムに陥ったり、新しい会員に抵抗心を起こさせ、
失敗、脱落という不本意な事態となって現れます。
又、組織運営の中心人物が時々失敗をしているならば、会員は寛容だからその役から降ろすようなことはしないだろうが、
その自分に甘い風潮が会員に浸透し、失敗者が続出し、例会は呑ン平の懇親会と化し、世間の批判を浴びるであろうし、
それにも増して重大なことは断酒会の真の意義を失って崩壊してしまうでありましょう。



♠121.旅人のオーバーを脱がせたのは強い風でなく、
それはやさしく暖かい太陽であった(イソップ物語) ♥


初めて例会参加した新人会員は自己嫌悪、拒否反応の心が強く働いているから、
なかなか自分の体験を裸になって言えないものです。
だから「裸になれ」と言って根掘り葉掘り体験(失敗)を聞きだそうとする古参会員がいれば抵抗を感じ、
自己嫌悪を増長させ、先輩との断絶を招き、ひいては例会を嫌いにさせる原因になるものです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の譬えの通り、断酒歴の長い人ほど謙虚でなければなりません。
「旅人のオーバーを脱がせたのは、強い風ではなく、それは優しく暖かい太陽であった」と言う
イソップ物語は正に断酒家の姿勢を教えてくれるものとして余すところがない。
酒害者を断酒させるのは、お説教ではなく酒害者に対する優しい思いやり、
真心がその人をして自ら裸になろうとする心を起こさせるのです。



♠122.寛容とは広い心でゆるすこと、
見て見ぬ振りをすることではない ♥


断酒会員の中には、時にはつまづいて酒を飲みだす人もおります。
断酒会とは、酒を止めた人の会ではなく、酒を止めたい人の会なのだから、時にはつまづくこともあるだろう・・と
その断酒に失敗しかけた人を見て見ぬ振りをすることが寛容だと考えたら大変な見当違いです。
寛容とは広い心で赦すことであって、そのズッコケた会員が自ら反省し、自ら罰しようとする時に、
その失敗を非難したり攻撃したりせずに、すべてを赦し、ともに断酒を改めて誓い合うことなのです。
会員がズッコケるとほとんど例外なく例会に出席しなくなります。
そんな時、出てくるまで待ちましょうと、ノンビリ構えているのも寛容ではありません。
積極的にその人の立ち上がりを助けてあげるのが断友のつとめでもありますから、
手を変え品を変えて例会出席に誘わねばなりません。
このときこそ、真の寛容の心が必要であり、その心が失敗者を立ち上がらせる動機付けになるのです。



♠123.断酒会の仕事をすることは酒害者にとって
重荷だが、断酒家にとっては励みになる ♥


なかなか断酒できない会員に「役員になってもらえば断酒できるだろう」
と会計係りをやってもらったら会の金を飲んでしまった、という笑い話にもならない悲劇がある。
昔から「身を固めれば酒が止むだろう」とか「車を買ってやれば酒をつつしむだろう」と考えて結婚させたり、
車を買ってやったりしてみたが、だんだん悪くなるばかりで、ついには結婚の相手に酒を飲む原因を求めたり、
車を駆って遠くへハシゴをするようになることすらあります。
これは、他から何らかの制限を加えて止めさせようとするからであり、酒害者にとっては加罰以外の何物でもありません。
これと同じようになかなか止められない人を断酒会運営の中心人物にしておくことは、
その人に断酒会が罰を加えている結果になることがあります。
そのような人はまだアル中という病気が進行中でありますので、問題から逃れようとする意識が強く、
その重圧に耐えかねて酒に走るという悪循環をまねくことが多いものです。
断酒会は酒害者に開かれていなければなりませんが、やはり中心人物は正気で問題と対決できる断酒家でなければなりません。



♠124.断酒会には情報の提供はあっても、
説教があってはならない  ♥


“例会とは体験談に始まり体験談に終わる“という言葉は初心者に対して、
お説教をしたり批判をしてはいけないということを教えている言葉です。
お説教や批判は必ず初心者の反発心を誘い、断酒の志を翻させる役目しかないものです。
このことは十分わかっている人でも、つい自分の体験を話しながら「私はこうだったからあなたもそうした方が良い、
こうしたら駄目だ」という言い方をしていることがあるものです。
断酒会を訪ねる人々は、酒害とはどんなものなのか、断酒会とは何をするところなのか知りたがってくる人たちなのです。
まだ断酒の決意も弱くグラグラしている人たちですからその情報を得て初めて決心が付くものなのです。
体験談はその情報提供なのですから、常に初心に帰り同じ高さで話し合わなければ、初心者は離れて行きます。
先輩顔をして自分の体験を押し付けていないかどうか常に反省しながら、
無条件の敬意といたわりの心を持って話を聞いてあげなければなりません。
ょう。



♠125.傲慢の中身は無力である、
謙虚の中にこそ真の力がる ♥


傲慢と謙虚について多くの説話やことわざが残っている。
西洋では、あの有名なイソップ物語のうさぎと亀の話があるし、日本の古い川柳には「実るほど、
頭を垂れる、稲穂かな」というのがある。
しかしながら、酒害者が断酒会に入ってやがて断酒家に変容していく過程において、
傲慢と謙虚がこれ程まで顕著に変化するのも他に例がない。
はじめは恐る恐る酒を飲んでいた青年がやがて酒害にかかるにつれて、酒量と比例して傲慢が増長し、
酒を征服したかのような錯覚に陥り、酒びたりの生活をするに及んで、
自己本位な鼻持ちならぬ人間になってもその傲慢さ故に、自らを酒害者と認めることができず、
職場を失い、家庭が崩壊し、身体的にも酒を受け付けることができなくなってはじめて自分の無力さを知るのである。
このときから断酒への道へ入り、亀のようにコツコツと一日断酒を続けることにより謙虚の心が培われてゆくのであるが、
この心は断酒の日が重なれば重なるほど顕著になり、人間としての魅力が溢れ出るようになるのである。



♠126.断酒の節(ふし)とは断酒による神経症状をいうのではない、
それは断酒による人格の変容期だということである ♥


「節だ、節だと言わないで欲しい。かえってイライラしてくる・・」という人がいるものです。
これこそ「節」に入っている証拠であって素直な心がなくなっている。
断酒して三ヶ月、六ヶ月、一年、三年などを節と呼んで警戒するのは、
その頃に失敗する人が多いからである。
これはアメリカでもスウェーデンでも変わらない。
酒によって幼児のように依存心の強くなった酒害者が、
断酒することによって新生第二の人生を歩むわけだから、元の自立心旺盛な成人に戻るのに、
少年期のような反抗期があっても不思議ではない。
反抗精神旺盛な少年は立派な成人になるが、反抗しない少年は成人しても自立できないと言われています。
イライラはその反抗期の一つの症状であり、これを乗り越えるとすばらしい自立期が来るのです。
心の中に固くて丈夫な節を残して・・・。



♠127.酒害者を直してやろうと思っている人がいたら、
その人は酒害者より重症な精神病患者である ♥


酒害者の家族からの相談を受けて、何とかしましょうとその酒害者と何度も接触を試みてもうまく行かず、
それどころか酒害者をして益々酒に走らせてしまった苦い経験を多くの断酒会の皆さんは持っていると思う。
これは、その相談を担当した断酒会員の心の中の、
何とか直してやろうと思う傲慢さが酒害者の反発を呼んだのであろう。
その接触の仕方に功をあせるせっかちな行動がなかったか。
自分の体験を話している中に押し付けがましい先輩ぶったお説教がなかったか深く反省しなければならない。
酒害が直るということは酒を飲まなくなるということなのだから、酒害を治せるのは酒害者自信であって、
他のいかなる人といえどもそれはできないことを改めて銘記しなければならない。
酒害者をしてその気にさせることは、酒害を病気とする考えの上に立って、
彼本来の人格を尊敬し、必ず立ち直ることを信頼して、根気強く、
自分の体験を話してあげること以外にありません。



♠128.おれがを出したら嫌われる、
自分を忘れてつくしてみよう ♥


酒害者を助けてあげるというのは看護の精神がなければできません。
看護の思想の源流はヨーロッパで中世期のカトリックのシスターであると言われています。
彼女らは、「病人を治しやろう」というおこがましい心は全くなく、
唯、苦しんでいるこの人たちに「自分は何ができるのだろうか、
今、ここで私にできるサービスというのは何でしょうか」と患者に尋ね、
それが背中をさすってあげることであれば、
彼女らは何のためらいもなく背中をさすり、水が欲しいと言えばどんな遠くからでも水を運び、
家が欲しいと言えば家を建ててあげて、
医者を呼んでくれと言えば医者を捜し求めて連れてきたということです。
これが病院の始まりだと言われています。
酒害者を助けてさし上げるということは、このシスターと同じ考えでしなければなりません。
「オレが酒を止めさせてやろう」などと心のどこかで思ったら、
相手の酒害者はたちまちあなたから遠ざかり、益々酒に走らせる結果になること必定です。



♠129.酒害の初期にはその病識は得られない、
しかも酒害が進行すればするほど病識を拒絶する ♥


酒害者は何故断酒できないのか、
という難問を解く一つの鍵として酒害者に病識があるか、ないかということがある。
世間一般に「呑ン平」と称される人に「あなたはアル中だと思うか」と聞いて御覧なさい。
恐らく99%の人は「ノー」と答えるでしょう。
しかも、本人は勿論だが、家族だってアル中だとは思っていないでしょう。
身体をこわすか、精神的に異常が起こるようになって、やっと家族が「アル中かな」と思うのであるが、
その頃には酒害者自身に酒のための異常心理が起こって
「自分はアル中ではない」と言い張って飲み続けるのですから、誠に始末に困るわけです。
よく「どん底まで行かないと酒はやめないよ」と言う人がいますが、確かにそれも一つの心理ですが、
早めに、病院か断酒会を訪ねることが病識を得る最良の方法のようです。
るようになるのである。



♠130.断酒とはじめは止めさせてもらい、
やがて自分で止めようと思い、
ついには止めさせて頂いていると気が付くもの ♥


酒害者は酒に限らず、すべてのことに依存心が強い。
こんな状態のときに酒をやめるということは容易なことではない。
こんなときは「病院とか断酒会の世話にならないと酒は止められない(依存)」のが普通である。
断酒が少し続いてくると「酒は自分でやめるもの(自覚)」と気が付くようになるが、
この時期には「自分の力で酒は止められる(傲慢)」と錯覚し、失敗する人が多い。
やがて、その時期も乗り越え、例会を重ね、断酒学校、研修会、大会などに参加するに連れて
「自分の断酒は多くの同志に支えられてできている(感謝)」ことに気が付いて、
初めて断酒に安定期を迎えるのである。
なり、人間としての魅力が溢れ出るようになるのである。



♠131.清濁合わせ呑む心がなければ
断酒会活動はできない ♥


都会の川は濁っています。
そんな川が全国にたくさんあって、みんな海に向かって汚水を流し込んでいます。
しかし、そのため地球上の海水が汚れて、魚介類が全部死んでしまった等の話は聞きません。
むしろ、この汚水の中に入っている何物かが、魚介類の栄養になっていることだってあるようです。
断酒会も正にその通りで、会の中に多少の悪い人(失敗をする人)がいたからといって
その断酒会の屋台骨がぐらつくようなことがあってはなりません。
  断酒会とはそもそも酒を止めたい人の集まりなのだから、
いまだ完全に酒を止められない人がいても当然なことであり、
それを嫌って「少数精鋭主義」などと称して、強く純粋を求めると入会者は入ってこないし、
会員相互もお互いに「悪いとこ探し」が始まって、かえって会活動が低下してしまうものです。
失敗した人の生々しい体験発表こそが、
他の人あな断酒の糧になることを知り寛容の精神で会活動に参加しましょう。



♠132.周りに変化を求めても駄目、
自分を変えなければ回りは変わらない ♥


 断酒を初めて何年か経って、いわゆる「悟りの断酒」になるまで次のような経過があると言われています。
○我慢の断酒
○自慢の断酒
○不満の断酒
○悟りの断酒
断酒の最初は我慢・がまん・ガマン・・・。歯を食いしばって頑張っていた人も、いつか楽になり、
それほど我慢しなくてもよいようになると、周りの人に(断酒の心意気)を示そうとするものです。
「つらいでしょう」とか「偉いわねえ」と言われると満足するが「そんなこと当たり前でしょう」
とでも言われようものなら「こんなに苦しんで断酒してきたのに・・」と心に不満がムラムラと盛り上がってくる。
だから、、周りの者は「偉いわねえ」と褒めてあげることが大切であるが、断酒する人がそれを求めてはいけない。
断酒しているから評価が高まるのであって、褒めてもらいたいから断酒するのではないのです。



♠133.酒を飲み続けるということはできないが、
酒をやめ続けることはできる ♥


猿に酒を飲むことを教えると次の三つのタイプに分かれるということです。
A 酒を飲み続ける
   B ときどき飲む
   C 一度は飲むが二度とは飲まない
正に人間社会と同じで、Aを呑ン平猿といい、Cを下戸猿とでも言うべきか。
私たちは言うまでもなくAタイプであり、そして、酒豪と呼ばれ敬意を表されたこともあった。
それがいつか酒害者と軽蔑されるようになったのはどうしてなのか?
A タイプの猿はやがて、ボンヤリとするようになり、オドオドしながら酔いがさめると酒を飲む。
遂には手が震え、全身痙攣を起こし、酒も飲めなくなって、ヨダレを垂らしながら死んでゆく。
この姿を不思議そうに眺めている健康な猿は勿論B とCの猿です。
人間社会なら軽蔑の目で見てるのでしょう。



♠134.説教には反発はあっても感動はないが、
体験発表には感動だけがあって反発はない ♥


「説教で酒が止むのなら、医者も断酒会も要らない」とはよく言われる言葉である。
酒害相談には「酒を飲んで何になるのか、家族のことを考えたことはあるのか・・・」とか「ああしなさい。
こうしなけりゃ駄目だ・・」などという説教調のお話は何の効果もないことは私たちは十分知っている筈である。
酒害者や、断酒初心者には、素直な心、反省の心、謙虚な心が欠けているのが普通である。
だから説教じみた話には反発心は起こっても感動は起こらない。
感動のないところに180度転換(飲酒から断酒へ)という一大変事は起こりようがない。
せいぜい例会嫌いにさせる効果しかなく、即ち、失敗のお手伝いしているに過ぎないのである。
心のそこから反省しつつ話す「体験発表」こそが、断酒例会の基本であり、
そこには共鳴と感動だけがあって反発心が起こるなどということは全くないのである。



♠135.「やめる」という言葉を信じてあげよう、
「のみたい」という心が萎むまで ♥


酒害者はウソ付だという。
酒をやめる」と言った舌が乾かないうちに酒を飲んでしまう。
この姿を表面的に見ると確かにウソ付きに見えます。
しかし「止めたい」と言う心と、「飲みたい」と言う心が渾然として存在し、
交互に大きくなったり縮んだりしているのが酒害者なのであるから、
酒害者必ずしもウソつきではない面あるし、むしろ病気として同情すべきだと思うのです。
「鳴くなと言えば、なおせきあげるホトトギス」の譬えに似て「飲むなと言えばなお飲みたくなる酒害者」
の病的な心理を理解してあげて「止めたい」という心を大きく育ててやる方向を
考えてあげなければいけないと思うのです。
一日やめても一緒に喜んであげる。
失敗しても「やっぱり駄目か」と言わずに激励してあげる。
そして再び止め始めたらほめてあげて一緒に喜んであげる・・。
これを繰り返してみましょう。
必ず「やめる」という心が、「のもう」という心に勝つはずです。



♠136.過去はとりかえせない未来はわからない、
今日一日断酒すること以外に何がある ♥


酒害は病気である。
しかし,病気だからといって、酒害の果ての悪業は赦されていいものだろうか。
「赦すことはできても忘れることはできない」とは、ある断酒家の家族が言った言葉である。
誠に意味の深い言葉であって、読み返せば読み返すほど、加害者であった我々の心に突き刺さる。
  加害者である我々は、被害者である家族、同僚、上司などに寛容な心を持って赦され断酒生活を続けている訳であるが、
私たちの悪業はどれほどその人たちを悲しませ、その心を深く傷つけてきたことか。
それなのに、私たちはともすれば過去に触れられることを嫌がり、過去を忘れようとし、
そして、将来の断酒を口にして信じてくれと言う。
誠に自分勝手な話であり、誰が信じてくれましょうぞ。
私たちのできることは「今日一日の断酒」これ以外何もありません。
今日も亦がんばりましょう「一日断酒」を。



♠137.人間関係のうちで最も傷つけやすい
会話をしているのは夫婦である ♥


断酒会の例会で、あんなに昔の飲んでいたときの自分の悪業を、平気で仲間と喋りあっていた人でも、
同じことを奥さんに言われると無性に腹が立って「畜生のんでやろうか」なんて思うものである。
夫婦とは不思議なものである。
愛し合って結婚したのに(いや、愛し合い、許し合っているからであろうか)二人の会話を第三者的に分析してみると、
酒を飲まない夫婦でも相当に相手を傷つけているものである。
しかし、普通一般の夫婦は、正常な寛容の心があるので破綻にいたらないが、酒害者夫婦はそうはいかないのである。
酒害者は寛容な心を失っているし、夫の酒害に苦しんでいる妻も心の余裕を失っているからたまらない。
家庭が破綻しないのが不思議なくらいである。
夫が酒害から立ち上がろうとするとき、そしてまだ断酒が定着していないとき、
妻がうっかり昔のことを愚痴ったりすると夫の失敗を招くことがあるものです。
そんなときはこう言いましょう「でも、今はうれしいわ、すっかり別人となったんですもの」



♠138.スリップしたひとに「何故」と聞いてはいけない、
それは嘘を言わせるだけだから ♥


断酒会員がスリップ(失敗)した時、その人に「何故のんだの」と聞いてごらんなさい。
曰く「仕事がうまくいかずイライラした」
「上司に叱られムシャクシャしていた」
「知らないうちにジュースにウィスキーが入っていた」・・云々と、まことしやかにその理由を並べるものです。
しかし、これはみんな後から考えたコジ付けであって、すべて「自分はのむ気はなかったんだが・・・」
と原因を他に転嫁しているのがよくわかります。
本当は飲みたいから飲んだのであって、アルコール依存症そのものが飲ましたに過ぎないのです。
だから、「何故」と聞かれてコジ付けを言っているうちに、アルコール依存症が原因であることを忘れ、いつの間にか、
コジ付けが本当の原因のように錯覚してしまい、反省もなく、自分を罰することもできなくなってしまうのです。
だから、スリップした人に「何故」と聞くのはやめましょう。
そして、再びスリップを繰り返すことのないように、「これからどうするか」について話し合いに乗ってあげましょう。
それが、自ら罰することになるからなのです。



♠139.酒害者のウソを受け入れてはいけない、それは甘やかすだけである、
しかし酒害者のホンネは聞いてやらなくてはならない ♥


酒害者はウソつきである。
酒を飲むためには平気でウソをつくものである。
自分から酒友を誘ったくせに、友達が自分を誘ったのだと言ったり、一人でヘベレケになったくせに、
わざわざ上役の家を訪ねて、そこから自分の家族に電話するなどは、まだ罪の軽いほうである。
親戚、知人にウソを言って金を借りるのを手始めに、質屋、サラ金と借金を重ねても奥さんにそのことを隠したり、
二日酔いなのに風邪だ、腹痛だと言って会社を休む。
数え上げたら切がない。
このような酒害者のウソを許してはいけないのである。
これは酒害者特有の甘えを増長させるだけである。
しかし、どんな酒害者でも十に一つはホンネを言うことがあるものです。
これを見極め認めてやることが、酒害者をして断酒に踏み切る心を起こさせるキッカケになることがあるものです。



♠140.酒害には三つの悪がある 孤独(精神的生命の衰弱)、
貧困(社会的生命の衰弱)、病弱(身体的生命の衰弱) ♥


Aさんは当時四十五才、妻子に逃げられ、職場を追われ、時々日雇いの仕事をしては飢えをしのいでいた。
いや、飢えをしのぐというよりは酒の渇きをしのいでいたと言った方いい。
一日働いては飲んで三日寝ているといった調子だ。
近所の人は、近いうちに死ぬんではないかと気味悪そうに噂をし合っていた。
見るに見かねて、近くに住んでいた断酒会員が例会につれてきたが、
一見六十才ぐらいに見える彼は、無口でオドオドして腰が落ち着かない。
案の定、生活のパターンは全く変わらないし、勿論酒はやめようとしない。
心配した会員みんなの世話で顧問の先生の病院に入院数ヶ月・・・。退院した彼は断酒会通いが始まった。
雨の日も、風の日も・・・。
爾来三年、彼の顔につやがもどり、年齢より若く見えるようになった。
ある菅工事会社に就職し、金回りもよくなったのか、服装もきちんとしてきたし、
会員の世話をして走り回るようになった。
今、会員達は別れた奥さん、子供たちとの対面を実現させようと奔走している。



♠141.失望を味わいそれを乗り越えた人でなければ
真の喜びはわからない ♥


誰だってアルコール依存症になるんではなかろうとなどとビクビクしながら、酒を飲んでいる人などはいない。
気がついたら、この世の地獄を這い回っている自分を見つけたというのが本当の姿であろうとと思う。
ご多聞に漏れず私もそうだった。
そのときには、職もなく、妻子にも逃げられ、将来を悲観して自殺をしようとさえしたが、
死に面して決断がつかなかった。
しかし、断酒会を知り、会員の皆さんに助けられて、やっと普通並の生活ができるようになったきた。
別れていた妻子とも今では仲良く暮らしている。
他人から見たら、全く普通の一家だが、私たちにとっては正にこの世の天国である。
「山の高きは、谷の深きをもって知る」という。
この世の地獄を味わったものにとっては普通の生活が天国なのである。
私は心の底から、アルコール依存症になったことを喜んでいます。(ある体験談)



♠142.自立とは孤高を保つことではなく、
他と共存することである ♥


幼少の頃は親に依存し、青年期には友人と手をつなぎ、結婚すると夫婦は頼り合う。
老いて死が近付くと神だ仏だと騒ぎ出す。
所詮、人間は何かに頼ってないと生きていけない生き物なのだ。
私たち酒害者は、その他に酒の中に生き甲斐を見出し、それに頼って生きてきた。
一にも酒、ニにも酒、それが自分の命を縮めるらしいと判っていても酒、酒、酒の毎日だった。
父らしさ、夫らしさを放棄し、妻に頼り、同僚に頼り、
福祉に倚りかかってやっとの思いで生きている人が多い。
これらの人の中に「このような依存を断ち切るために断酒会に入りなさいというのはおかしいのではないか。
それは断酒会に依存することになり、自立することにならないのではないか。
俺は男だ、一人でやめてみせる」と言って入会を拒否する人がいる。
そもそも、自立というのは、他の世話を断って一人孤高を保つことではなく、
他の人世話を受けるが、他の人の世話もすることなのである。
世の中とはそういうものであり、断酒会も会員互いに支えあって共存共栄することが真の自立なのである。



♠143.自分の飲酒欲求に負けてお金を使えば命が縮み、
他人の断酒願望のためにお金を使えば命がのびる ♥


ひとたびアルコール依存症と診断された者は再び適当に酒を飲むことは不可能である。
それはブレーキの壊れた自動車にガソリンを詰め込んで走るのに似て、結末は自己破壊以外の何ものでもない。
自分のひと時の欲望に負け酒を買って飲むということは、
わざわざお金を使って自分の死を買っているということに過ぎないのである。
即ち、アルコール依存症にかかった者は、真に悔しく残念なことではあるが、
断酒すること以外に生き延びる術がないのである。
しかも、この断酒というものは、数日間なら誰でもできることではあるが、
生涯断酒を貫くということは並大抵のことではない。
アルコール依存症者は飲んでいる時は殆どの人は依存心の強い自己中心的な性格になっている。
この子供のような心を方向転換して、受容と理解をもって、未だ酒を止めきれず苦しんでいる人のために奉仕する、
]いわゆる断酒会活動のために自分のお金を使えるような人間になるならば、生涯断酒を貫くことができ、
天寿を全うし得るであろう。



♠144.酒害者が断酒するということは、
いろいろな人に借りをつくることであり、断酒していくということはその借りを返すことである ♥


「私は一生懸命独りで生きているつもりです。
誰のお世話にもなっておりません」と言っている人がいます。
しかし、この世の中を誰の世話にもならず生きていくことができるでしょうか・・。
毎日食べる米、住んでいる家・・。何処を見たって他人様の手のかかっていない物なんて一つもありません。
まして、酒害者が断酒に至るまでの道程において、どれくらいの人々に、
どれほどまでに迷惑をかけてきたでしょうか。
そして、やっとの思いで断酒の道に踏み入ったときから、又しても、一緒にこの道を歩く多くの同志の励ましと、
支えあう力によって倒れずに歩いてきたのです。
決して自分ひとりの力で断酒が出来たのではありません。
だから、私たちは、今までに迷惑をかけてきた人々や社会に対し、できるだの償いをしなければなりません。
即ち、断酒し続けること、それが恩返しになる訳です。



♠145.例会で失敗者をとがめてはいけない、
そこでは互いに許しあうことが大切である ♥


断酒会の例会で、失敗した人に「何故飲んだのか」などと、
責め立てるような発言をする会員を時々見かけることは真に残念なことである。
そもそも、失敗者は、家族に責められ、同僚、上司に責められ、己の良心にも責め立てられ、
どうしようもなくて助けを求めて例会に来たのではなかろうか。
それを例会場で会員にも責め立てられたとしたら、彼の逃げるところは酒しかなくなるだろう。
ところで、そもそも、断酒会員の中で、失敗者を責める資格を持っている人はいるであろうか。
私たちは断酒会員である限り、多かれ少なかれ何らかの断酒失敗の経験を持っている筈である。
とするならば、私たちは互いに許しあい、助け合い、支えあって行くのが本筋であり、
間違っても首吊りの足を引っ張るようなことをしてはいけないのである。



♠146.断酒会活動は酒害者救済というが、
それは酒害者である自分を救うということである ♥


昔から「情は人のためならず」と言われているが、断酒会でも「人を助けて己を救う」という同じような寸言がある。
これは、酒害で悩む人の相談相手になってあげ、その方が立ち直っていくその過程において、
酒害で苦しんでいる方の姿が自分の過去とあまりにもそっくりなので、
知らず知らずのうちに初心に還らして頂き、自分の断酒継続につながっていくということを言ったものである。
しかも、断酒道の究極の目標が「酒害者救済」であるとしているが、
酒害者が立ち直って立派な断酒家になったからといって、それは先輩が支えてあげ、
励ましてあげたりして助けたからではなく、その酒害者自身の力で立ち直ったのであって、
むしろ支えられ、励まされ、助けられたのは先輩の方なのである。
即ち「酒害者救済」という言葉の「酒害者」とは、
相談をしているつもりの「自分」をも指していることを忘れてはならないのである。



♠147.断酒家の尊厳のすべては断酒道にある  


われわれ断酒家は一茎の葦にすぎない。
自然の中でもっとも弱いものである。
だが、それは考える葦である。
われわれを押しつぶすために宇宙全体が武装するには及ばない。
ブランディの香りか、一滴の酒でもわれわれを殺すのに十分である。
だが、たとえアルコールがわれわれをおしつぶそうとしても、
われわれ断酒家はわれわれを殺すものより尊いであろう。
何故ならば、われわれは飲めば自分が死ぬことを、即ち、酒の自分に対する優勢を知っているからである。
だから、われわれの尊厳のすべては断酒道(考えること)の中にある。
われわれは、そこから立ち上がらなければならないのであって満たすことの出来ない酒盃からではない。
だから、われわれは断酒道に生きることにつとめよう。
ここに断酒家の道徳がある。



♠148.断酒を始めるには理屈はいらないが、
断酒を続けるためには断酒哲学が必要だ ♥


どんな重症の酒害者でも、酒を止めたいと思う心は必ずあるものです。
それが強い病的な飲酒欲求の殻に隠れて、周りのものは勿論本人ですらわからないことがあるものです。
このような酒害者が突然断酒を始めるものだから、周りの人は奇跡が起きたようにびっくりするわけです。
しかし、これは奇跡でも何でもなく、すべて人間が持っている自己保存の本能のなせる業なのです。
その本能のエネルギーが、ある動機によって、飲酒欲求の殻を破って突然大爆発したに過ぎないのです。
しかし、この噴煙がおさまった後が実は大問題なのです。
断酒のおかげで心身ともに健康を回復するにつれ「病気になって健康の大切さを知るが、
健康なときは病気のことを忘れる」のが人間の通例で、いつしか自己保存本能も静かに体内にかくれてしまい、
飲酒欲求がだんだん頭をもたげてくるのです。
この頃が一番大切なときであり、断酒学(断酒哲学)を少しずつ身につけないと断酒継続が難しくなるのです。



♠149.断酒哲学は断酒継続しているひとだけが
学びえるもの ♥


哲学というと極めて難解な学問であり、私などはとてもとても・・と敬遠する人が多いものです。
確かに、哲学はとはものごとの根本原理を探求する学問だから難しいかも知れない。
しかし断酒哲学とは一体何だと言われたら「何故、あなたは断酒するのですか」ということを探求する学問だと考えればよい。
これなら何も難しそうでもなさそうだし、例会でいつも話し合っていることである。
要するに、断酒例会とは断酒哲学を先生なしで自分たちで勉強し合っているところだと言える訳です。
しかし、「何故あなたは断酒するのですか」という問いに対し明快に答えられるようになるには何年かかるでしょうか。
時々ズッコケル人には中々歯切れのいい答えは得られません。
そうなのです。
断酒継続している人にだけその哲学がわかるのです。
それは長い断酒経験の末に知らず知らずに身についた悟りのようなものであり、
それは「人生哲学」とも又、「人間哲学」とも呼ぶにふさわしいものだと言えます。



♠150.例会は同じことの繰り返しに見えるが、
そこには新生(変化)と悟りがある ♥


「例会はマンネリだ」と言って批判し、例会に出席したがらない会員がいるものです。
確かに例会は、表面的にみれば、同じ人が集まり、同じ体験を発表しているのだから、
同じことを繰り返し見えるかもしれない。
しかし、例えばジョギングにしても、山法師の修行にしても、
昨日のそれと、今日のそれとでは少しではあるが進歩があるはずです。
そして、それが確固たる信念となり、悟りの境地に達すのです。
断酒例会も全く同じであり、先週の体験発表と今週の体験発表が、全く同じことを話したとしても、
よく聞いてみると、違うところがあるのに気が付く筈です。
これが断酒の糧になるのです。


♠151.断酒生活とは酒に変わるものを見つけて安定することではない、
それは人生を生きるのに酒のいらない生き方があるのだと体験することである ♥


断酒生活は徹底的に断酒一色で出発せねばならないが、酒害者であったとき、
つまり、生活のすべてが飲酒欲求に支配されていたころとは違って、
断酒暦が長くなると、断酒、断酒といった力みは消失して、
酒のないことがストレスとならない健康な生活になってくる。
断酒生活は、酒に変わるものを見つけて安定することではない。
酒に代わるものはない。
飲酒していた時間を趣味に当てるとか、飲酒で浪費した金を新しい生活に生かすとかのことは、
当然あってもよいし、また新しい生活の目標を立てねばならない。
ただし、それらは、断酒した生活転換のしるしであって、飲酒の代わりになるものでは絶対ない。
断酒生活とは、人生を生きるのに酒のいらない生き方があるのだと体験することです。
雪、月、花に酒が人生ならば、雪、月、花に酒がなくとも人生である。
それを実際に体験することである。
            (村田忠良先生著「断酒学」より)


♠152.断酒家は酒害を体験しているからこそ、
それを熟知する者として無縁でいられるのだ ♥


断酒家は飲む気になればいつでも飲める。
二合や三合の酒ならば酔わずに飲める。
しかし、一度飲めば、数日後には確実に酒害者に戻ることを知っている。
だから飲まないのである。
私が断酒家を自発性後天性精神性下戸と呼ぶのはその故である。
酒は巷にあふれている。
世の中はに愛酒家は数え切れない。
酒の長所を讃える人は身近にいくらでもいる。
しかし、断酒家はそんなことは気にしない。
なぜなら、断酒家は酒の長所も短所も、酒の功罪も、心身の依存症状も、酒害もすべて体験済みだから、
それらを熟知する者として無縁でいられる。
熟知した上で無縁でいるということは、深遠な意味が内蔵されているが、
断酒家は断酒によって自由な身になったのであるから、主体性の回復の証として、
独自の個性的な思索をすべきであるし、またそれが断酒家の特権でもある。
私はそのテーマこそ「断酒とは何か」ということであると思うのである。
          (村田忠良先生著「断酒学」より)


♠153.断酒は求めれば必ず与えられ、
求めなければその動機にすら到達しない ♥


仏教に「縁起の法」というものがあって、世の中の諸現象には、
必ずその起源となるものがあるという教えがあります。
この説法は、断酒にも当てはまるものと思います。
人に断酒をしようとする心からの希求があるならば、それが例えば針の先ほどのものであっても、
徐々に成長し、何時の日にか必ず成就するものと思われます。
しかし、その起源となる願望がないならばその動機さえも到来しない筈です。
星落つるを待つは愚かなり 星得たければ 天に昇れよ
叩けよ さらば開かれん
などという言葉は、みなこのことを教え諭したものだと思います。


♠154.あなたはもはやみじめな酒害者ではない、
あなたはいまや誇り高き断酒家である ♥


ひとたび酒害にかかると、たとえ数年断酒していても、若し一杯の酒を飲んだとすれば、
ズルズルともとの酒害者に逆戻りすることは明らかであり、それが死につながる事であるとするならば、
まさに自分の十字架(死刑台)そのものを背負って歩いていると言わねばなりますまい。
だから、他の一般の人に比して大変な努力を強いられることになり、
これが人格の改善向上につながる一大要因であるのです。
断酒を始めた当時の十字架は酒害者という汚名であるかも知れません。
しかし断酒数年を過ぎた頃の酒害者の十字架はある輝きを発すようになるでしょう。
その人たちは、もう酒害者と呼ばれることもなく、愛情豊かで、意志強固、
何よりも謙虚な心の持ち主になっているでしょう。
十字架を背負っているが故に立派な人格者に変容していく彼等こそ、
正にキリストのような存在でなくて何と言いましょう。
さあ、あなたも、その人達と手を取り合って、あなたの輝ける十字架を背負って、
胸を張って歩ける誇り高い断酒家になりましょう。


♠155.この世の地獄を見たければ酒害者の家庭を見るがいい、
この世の天国を見たければ断酒家の家庭を見るがいい ♥


ある体験発表
私が主人と結婚しましたのは、終戦直後の食糧難、そしてすべての物質が不足で明るいニュース等のない、
人々の心が殺伐としていたときでした。
姑と義弟二人の五人家族の中で、わたしがある不安を感じたのは、結婚してあまり月日のたたない時でした。
主人が私に対して優しくしてくれますと、必ず姑の嫌がらせがはねかえってくるのでした。
姑や義弟に尽くしても尽くしても主人が留守になると必ず五臓六腑にしみる姑の嫌がらせです。
独りになるといつも涙の出る毎日でした。
原因は私が嫁ぐ前、主人が飲んで家族を苦しめたことの反発だったのです。
その母も13年前、14年2ヶ月の寝たっきりの闘病生活の末、私の手をしっかり握り、ありがとうと言って他界しました。
姑が亡くなってからの主人は、優しさを失った一人の男でしかありませんでした。
毎日毎日、酒でした。
朝、機嫌よく、今日は速く帰ってくるからと出かけても、帰宅は必ず夜中でした。
何が腹立つのか、翌朝まで、勝手な文句を並べて、同じことを繰り返しながら飲み明かし
、私や子供にも乱暴していたものです。
主人のよく言う言葉に、私が米二表も背負ったようなふくれ顔をしていたのが酒を飲む原因だったと言っておりますが、
昼夜の別なく帰宅して、何が面白くないのか、仁王様のような顔で、思い切り往復ビンタが飛んでくるような人です。
逃げる暇もないんです。
顔は見る見る腫れ上がり、青黒く、あざとなり、とても米二俵どころか、よくこの首がつながっていたものです。
嫁入り道具が粗末であったと言って、持参した箪笥を二階の窓から投げられたとき等、片付ける気力もなく、
ただただ主人の性格を疑いました。
戦後の物資不足で、切符制の時代でしたので、父母が隣近所、親戚等歩き回って、
やっとの思いで揃えてくれた嫁入り道具だったのです。
近所の人が天から降るのは雪と雨だけだと思ったら、箪笥まで振ってきたと、
私と一緒に涙しながら片付けてくれました。
廃材として投げるに忍びなく、材料の一部で神棚を作り今も使用させていただいております。
またある冬の寒い日でした。
実家の母が、神経痛で止む足を、無理して来てくれたときに、綿の一杯入った袖なしを作って持って来てくれたのです。
夜中に酔って帰ってきた主人はいきなり、その袖なしをストーブに入れてしまったのです。
何を言う間もありませんでした。
私は恐ろしさのあまり、瞬間的に外へ逃げました。
母が痛い足を引きずって届けてくれた袖なしが燃えて火の粉が夜空に舞っておりました。
思わず実家のある空に向かってごめんなさいと手を合わせ、思いっきり泣きました。
何度別れよう、逃げようと思ったか知れません。
財産なんて何もいらない、五体満足なうちに別れようと。
でも三人の子供が、おびえた目で私にすがってくるのです。
随分悩みました、考えもしました。
しかし、私一人が別れて出て行くことは、どうしても出来なかったのです。
自分がついていけない主人に、子供は置いていけなかったのです。
私さえ我慢すれば、子供たちにひもじい思いをさせないですむと思うと、別れる気持ちもにぶる私だったのです。
私は、今は、縦だか横だか分らないぐらい太っておりますが、その頃は40キロもない体でした。
身内の人達や友人もいろいろと話し合ってくれましたが、駄目でした。
その時から、私は雑草のように強く生きようと考えました。
36年間ほんとうに様々なことがありました。
楽しかった思い出は何一つ思い出せませんが、辛く苦しかったことのみ、走馬灯のように脳裏をかすめます。
そして、昨年市の会報で、初めて断酒会を知ったのです。
Nさん、Mさんが心配して何回も来て下さったのですが、主人には、馬の耳に念仏で、話を聞いてくれないのです。
幻覚症状の見え始めた主人は、もう私共では手に負えないアル中患者だったのです。
友人、知り合いにお願いしてA病院へ連れて行って頂きました。
A先生はすぐに入院させて下さったのです。
忘れもしない九月十日でした。
保護室に十七日、入院日数五ヵ月、主人には随分長かったでしょう。
面会にも行きましたが、いつも怒鳴られ、帰ったら殺してやる等と、とてもとても話しになりませんでした。
仕事のこと、主人のことを考えると、眠れぬ日が続きました。
その時です。
新生会の方がみえて、断酒会への入会を勧めて下さったのです。
藁をも掴む心境だった私は、その晩早速例会に出席させて頂きました。
会場に入った私が、先ず驚いたのは、奥さん方のにこやかな笑顔でした。
一瞬、私が来る所でなかったのでは、と思いました。
長年笑顔を忘れていた私は、目の前にいる奥さん方の顔が、どうしても、
過去に私と同じアル中で泣いた人達とは思えなかったのです。
二時間の体験発表で様々な会員の話を真剣に聞かせて頂きました。
でも主人程の暴力を振るった人は誰もいません。
折角断酒会に入れて頂いても、皆さんに、ご迷惑をかけるだけになるのでは、と心配になりました。
約二ヶ月、私は、家族として出席させて頂いておりますうちに、
今まで考えられなかった自分を見ることが、少しずつ出来るようになって来たのです。
不思議でした。
次の例会が待ち遠しくてなりませんでした。
断酒に関する書物は、夜明けになるのも忘れて読みました。
私は今まで、何故怯えてばかりいたのか、何故明るい家庭を築くことに努力することを考えなかったのか、
断酒会の存在を早く知っていれば、主人を強制入院などさせずにすんだものをと、悔やまれました。
会の奥さん達が、心の奥底からご主人を愛し、家庭を愛し、
三年、五年、いや八年も十年も旦那様の断酒に協力なさってこられたからこそ、
断酒継続できているのだと、只々感心させられました。
そうこうして居りますうちに、二月、大雪断酒学校が美暎町の白金で行われました。
A先生は、主人を行かせて下さったのです。
三日間の研修が終わり、愈々六日、主人の退院の日です。
会員の方々も迎えに行って下さいました。
帰宅と同時に、例会も開いて下さいました。 強張った顔の主人を見ていると、胃が痛んで仕方がありませんでした。
でも、会員の奥さん達の顔を思い浮かべて我慢しました。
精神病院へ強制入院させられたことに対する主人の腹立ちは、大変なものでした。
例会には出席してくれるのですが他には絶対に出かけようとしないのです。
家の中で二人が顔をつき合わせて居ても、結果は悪くなるばかり。
断友の所へは、いくら勧めても行こうとはしないのです。
仕方なく主人が飲んでいた頃、交際させて頂いておりましたお酒を飲まない、
社会的に立派な方々のお宅へ、私も一緒に訪ねては、種々とお話を聞かせて頂き、
主人を励まして頂いたのが、主人の気持ちを少しずつ打ち解けさせてくれたようです。
暫く続きました。
折を見て、会長さんのお宅、理事さんのお宅と、二人でお邪魔にも行きました。
それからの主人は、皆さんも驚くほどの変わりようでした。
例会は勿論、地方の会にも進んで出席してくれるんです。
一日も休まず。本当に顔つきまで変わって来ました。
先日、私にしみじみと、「母さん、あの入院出来れば十年早くさせて欲しかったなぁ、そうしたら、
お前にこれほど苦労させずに済んだものを」と言ってくれました。
私の家にも、やっと断酒の灯がともりかけました。
青春を知らずに過ごした三十六年、子供たちにも随分苦労もかけました。
私と一緒に頑張ってくれました。
主人もまだまだ健康です。
私たちの人生はこれからです。
地方の断酒会の集いの道中は、景色もよく、会員の方のお話を聞かせて頂きながら、
今更ながら、断酒会、そして断友の心温まる励ましに対し感謝しながら、新婚旅行気分で通わせて頂いております。
この世に天国があるとすれば、今の我が家がそうではないかと思い、主人の断酒に心から感謝しております。



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