山歩会(さんぽ会)の報告

場 所:八丁池ハイキング
日 時:平成25年11月4日(月)文化の日(振替休日)
集合場所:道の駅(天城越え)
参加者:富士断酒会 6名
   :長泉断酒会 2名
   :沼津断酒会 2名
   :三島断酒会 7名
   :千葉断酒新生会 1名
   :合計 18名
    行程 道の駅(天城越え)から八丁池登山口までバスで行き八丁池まで徒歩 約 4.6km☓2



八丁池の概要
標高1,170m付近にあり、池の周囲が8丁(約870m)あることが名前の由来といわれる。
しかし、実際には周囲560m程度で、5.1丁ほどである。
俗に、活動を終えた火山である天城山の火口湖と言われることもあったが、
精密測量の結果、谷の最奥部が活断層のずれによって窪地となり、水が溜まってできた断層湖であることが判明した。
天城縦走路の途中にあるためハイカーの憩いの場となっており、池の南の高台には見晴台とトイレが設置されている。
かつては、冬期に湖面が厚く凍結したため、天然のスケートリンクとして利用されたこともあった。

動植物
周囲がスズタケに覆われているため、別名「アオスズの池」とも呼ばれる。
静岡県指定天然記念物のモリアオガエルの生息地で、産卵期の6月頃には池周辺の木に生みつけられた泡状の卵が観察できる。
ササの一種であるイブキザサはこの池で発見され、ササ属アマギザサ節に含む種とされている。

皇族と八丁池
昭和天皇は1930年(昭和5年)6月に八丁池までの往復を歩き、この際に使用した登山道を御幸歩道と呼ぶようになった。
八丁池にはこの登山を記念して「天蹕留蹤碑 (てんひつりゅうしゅうのひ)」と刻まれた記念碑が置かれた。
なお、昭和天皇は1981年(昭和56年)6月にも八丁池を訪れている。
また、昭和天皇の孫である皇太子徳仁親王も1982年(昭和57年)7月に天城山の縦走を行い、万二郎岳から万三郎岳、八丁池を抜けるコースを歩いた。

道の駅(天城越え)での出発前(早朝より雨で天気の心配)





八丁池登山口までバスにて



八丁池登山口より八丁池まで徒歩
降っていた雨が嘘のようにやんで晴れ間が見えてきた。
晴れ男3人と晴れ女1人に圧倒されたみたいです。












富士山が見られる見晴台より






八丁池に到着
八丁池にはこの登山を記念して「天蹕留蹤碑 (てんひつりゅうしゅうのひ)」と刻まれた記念碑が置かれた。








昼食休憩と帰路
帰路に着こうとしたら霧が急に発生しました。
帰り着くまで雨は降らずに済みました。やはり晴れ男と晴れ女に感謝感謝でした。
















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